うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

松田聖子は自己愛性パーソナリティの毒親、あっという間に立ち直るだろう

松田聖子は、毒親

あまりにも精神力が強く、自己愛性パーソナリティであり、母親にはなれない。

娘が生まれたら、あろうことか、子供を守るのではなく張り合う対象にしかならない。それが自己愛性パーソナリィである。それは若さという点かもしれないし、美しさという点かもしれない。ありとあらゆる点で張り合う対象となる。

松田聖子が、母親として神田沙也加をサポートなど、

ただの一度としてあっただろうか。

 

神田沙也加が幼少期に、松田聖子は子供を祖母に預けて海外に行ったというが、これを、

女性の活躍などという言葉で語っていいのか。

幼少期は対人関係を基盤を作る、臨界期と呼ばれる、基本的信頼感をを形成する大事な時期である。これは不可逆的なものである。

この時期に、母親が自分を優先して去り、愛情剥奪をされると、どうなるか。

人間というものを、根本から信頼することができなくなる。

 

松田聖子は、必ず立ち直る

それも、皆が驚くぐらいあっという間に立ち直る

その際に、娘をまた自分の道具として、利用するだろう。

死んでからも利用するのだ。

娘を失っても立ち直った女として。

 

多くの人は違和感を抱くだろう

心のある親ならばこんなに早く立ち直れるのだろうかと

そう、心がないからこそ、立ち直れるのである。

 

自分が美しく人から羨ましがられる存在でありさえすれば、

自分の子供を平気で犠牲にできるのである。

 

自分は子供のことも考えず離婚再婚を繰り返したのに

なぜ神田沙也加の結婚に反対するのか

神田沙也加を思って反対したとは思えない

恐らく単に、男性に愛される娘に嫉妬していただけであろう

 

松田聖子のその強さが、娘を殺したのである。

普通の親は立ち直れない

それは精神が弱いからじゃない

愛があるからだ

 

松田聖子にはそれがない

彼女の愛は自分自身にしか向いていない

だから立ち直れる

 

ドストエフスキー

カラマーゾフの兄弟の中で、登場人物にはっきり言わせているように

 

なぜ誰もはっきり言わないのだ

 

産んだだけで、親とは呼べないということを

 

自分を煩わせるぐらいなら死んでもらいたいと心の底から思っている親がいることを

なぜ真実の目で見ないのだ

親幻想に酔っている方が、それは楽なのだろうが、

産んだだけでは親ではないし

親ならば誰でも、というのは大昔から当てはまらないのに

 

古代から戦国時代にも自分の野心のために平気で子供を殺した親がたくさんいたのに

なぜ、その真実を真正面から見ないのだろう

親は子供に死んでほしいと思うことがあるということ

死んだ後でほとんど何も思わない鬼畜の親がいるということ

 

摂食障害の拒食症の方で、

手を煩わせるので親の方が本気で死んでほしいと思っていた方がいた

そのかたは、親の願いとおり、拒食の飢餓状態で餓死で死んだ。

親は、ほっとした、というよりは、「なんとも思っていなかった」

 

松田聖子

早く立ち直り、

あまりにも早く立ち直り

これが私よ、と言わんばかり自分が輝く姿に満足し

我々を違和感の渦に巻き込んでくれ

支配的で愛がない強靭な毒親というものがどういうものか

はっきりと世の中に示し

親が子供を愛さないという真実のあることを

教えてくれ

 

子育てに正解はありません。

しかし結果はあります
 
子育てしながら(と言いながら仕事と本気で両立することは不可能です)
女性の活躍、それもいいでしょう。
しかしその結果を受け止める心構えはありますか?