うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

コロナ危機で逆に乗り越えた部分

コロナ危機を乗り越える中で、実はいろんなことを乗り越えた。

4月の緊急事態宣言は私にとって大変な危機だった。

仕事が全部なくなった。

私の症状にとって、日中の活動がなくなることは、とにかく危機だった。

その危機は、残念ながら今までに経験したことがないほどの、ちゃんとしたパニック発作を経験するという結果を引き起こした。

 

でもそこから、コロナ危機のおかげで切羽詰まったのか、変わったところがある。

一番は、

強迫傾向の私が感情のおもむくまま、エネルギーのおもむくまま、何が正しいとか考えずに、動くようになったことだ。

パニック発作が起こった時に、変な言い方だが、逆に意識がものすごく集中したのだ。発作を起こしながらも、仕事上のメールを送れたし、判断もしていた。何が私を追い詰めているのかもクリアに分析できていた。普段より明瞭に。発作の中に潜った感じだったのだ。ちゃんと潜った感じ。そして制限をかけつつではあったが、仕事もちゃんとやり遂げた。

それでちゃんと感情の中に潜ることって大事なんだと体験的に気づいたのかもしれない。

仕事が再開した時は本当に日中に達成感を得られる活動ができることが嬉しくて嬉しくて、認知行動療法の「行動活性化」、本当に、仕事をすることで自分自身が「活性化」される感覚があった。私みたいな強迫傾向の人にありがちな「こうすることが正しいからやる」みたいな理由付けではなく、「活性化されると気分がいいから」やる、みたいな思考回路に変化した。

 

また、自分の日々の日常が、全て「不安を避ける」ための徹底したやり方で組み立てられている不自然さに気づき、

例えば、睡眠は絶対に質を保つようにしているし

抗不安薬は使いまくってるし

仕事で不安発作が起こるのがいやで、その前にヨガをやったりとか、

そういう風に生活が成り立っていることに気づいた。

仕事の準備を前もってするとかいうことはなぜかしなかった。それをすればいいんだが、多分それは準備をしても不確実で、むしろ不安に直面することになり、完全に不安を取り去ってくれることがわかっている、抗不安薬++運動+温浴、の方が、よかったのだ。それに全く気づいていなくって、自分はちゃんと対処しているんだと思っていた。

でもそのやり方ではいつになっても、「自分はいつでも不安で、何かしっかり不安に対処していないとまた不安になってしまう」という問題は解決しないことがわかった。

それで私はそれらをやめるというか、自然に任せることにした。

ある時は寝不足のまま、抗不安薬も飲まず、ヨガにもいかず、重大な責任のある仕事をしてみた。そしたらできたのだ。

まず、朝、起きて、考え込みそうになった時に、今日は寝不足だし、おまけにヨガもいけない、これはマイナス思考をしたら、今日の仕事できないマジでやばい、考えるのやめようと思ったら考えずに済んだのだ。これは結構大きな出来事だった。不安のための対応をしておかなくても、機能が下がったままでも1日を過ごせるということがわかったのだ。

 

仕事ができるようになって活力が湧いてきたら、むしろやらなければならないのは、そのガチガチの不安事前対策だった。それをやめてみた。

 

そしたらヨガに行く頻度が減った。行きたいから行くのであって、不安が起こったらどうしよう大変だということでは行かなくなったのだ。

 

コロナ危機で何が良かったのかと言えば、切羽詰まったことだろう。綺麗に事を片付けられなくなったというか。そしたら一時的に精神悪化しつつ乗り越えられた、という感じがした。