うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

強く生きる

強く生きる

私と両親は違う人間

39歳になってやっと分かったけど

強く生きる

親のせいにはもうしない

父親は愛情欠乏の人間で、それを必死で父親自身もごまかしながら、嘘をつきながら生きてきた。
私は彼に愛情というものがないのはよく分かっていた。私を抱きしめるとき、それは愛情のそれではなかった。それがはっきりと分かっていた。子供を抱きしめる時の感覚というものがわかっていない人だった。

父親はずっと影だった

だが私にとってもう影ではない

前に出てきていい

前に出てきてそしてこう言っている。

あからさまな、ただの、愛情欠乏の人だ、と。

それでは当たり前だ。いろいろなことの説明がつく。

もう隠さないでいい

父親とうまくやれないことを隠さないでいい

隠すどころか、普通の反応だ

ずっと母親の育てかたの方にフォーカスしてきたけど、

父を隠してたんだろう。

わかっている

だから私は自然な反応だ

何も悪くない

それで、強く生きる、話だ

私は強く生きる

父が愛情欠乏で、母が条件付きの、自己愛の中での愛情だった

そうだったとしても、

私は強く生きる

親以外の人たちが周りにたくさんいる

親と自分は違う人間

私は私で生きていかなければならない

自分という人間を、親との関係の中で理解をしたならば、
そのあとは

自分で生きていかなければならない。

自分で自分を完全に騙していた自分に嘘をついていた
だから影なのだ私の父は
影になっていたのは他でもない、本人自身だ
自分で自分に嘘ついていたんだもの
影になって当然だ

そう考えたらいろいろなことが、今ヴェールに包まれていたいろいろなことが
明らかとなった。

ああそういうことだったのか

ああそういうことだったのか

私は強く生きる

だから子供も産もうと決めた

女が強いのは子どもを産むから

あの時の絶望から

本物の希望

つまり子どもを

産んだならば素晴らしい希望だと思わないだろうか

絶望は希望に変わり得る

それを私は、証明するというよりかは、
確かな実感を持って、踏みしめていきたい。

絶望が希望に変わること

堂々と、人前を歩き、

堂々と、表に立って、歩いていい

何も隠すことはない始めから

もう怖がることはない

影に隠れなくていい

影に隠れるべくして隠れている人だったのだ

そういう人を恐れたり話しかけづらかったりするのは当たり前だ

私はごくごく普通の自然な反応をしていただけなのだ

だから前に出てきていい