うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

最近よく悟りを開くなあ

最近よく悟りを開くようになったなあ
発症してから6年経つ

お釈迦様は、のまず食わずの苦行を6年積んで悟りを開いたというが、考えに考え抜いて答えを出し、しかもその悟りが身に付いてくるのに、人間6年ぐらいかかるのだろうか?

お釈迦様と一緒である訳はないのだが、最近そんなことを感じる。
苦行という意味では、多分私はかなりのものを体験していると思う。

私の最初の悟り(みたいなもの)は、重度のうつ病を発症してから、精神科に行くことができないまま、体重が3ヶ月で10キロ減少してその状態を維持したまま、不安焦燥が全面に出る凄惨を極めるうつの状態を1年ちょっと続けたところで、起こった。

一人のままにしておくと、無意識に自殺行為を起こしてしまうため、私を一人にしておかないために、私は自宅から実家まで毎日通い、夜は残業を会社に止めてもらった夫が職場から実家まで片道2時間の道のりを迎えにきて自宅に帰るという、いわば自分も家族にとっても苦行としか言えない6ヶ月間続けたときであった。

そのときの私の症状は、とにかく凄惨を極め(こういう表現以外になんといったらいいか分からない)、不安、パニック発作が1日中、そのため周囲の者を自分の周りにつかせて振り回す、というものであった。何をしていても、身体ごと持っていかれるような自分のコントロールを離れた不安感が収まらず、一切の思考力が働かず、洋服を着るのもやっと、ごはんを食べることもやっと、母親が心配そうな様子を見せると、退行しきった私の精神はそれを見ただけで崩壊し、パニック状態に陥る、頭には常にひっきりなしに闇の気配、死の気配がこびりついたまま、そんな状態であった。

正直言ってこれらは「この世のものとは思えない」体験であり、時間も空間も超越している。朝が来て昼がきても、何日経ったのか、鬱状態で日数を頭で数えることができないのはもちろんのこと、感覚的にも全くわからないという状態であり、3日しかたっていないと思っていたら実は10日たっていた、ということがよくあった。よく見知った慣れた実家にいながらにして、全く知らないところにいるような感覚、もし自分のその状態について、なにがしか「考えた」ならば、「死」という結論しか導きだされないから必死で考えないようにしていた、そういう毎日がひっきりなしに、「1年以上」である。

はっきり言って、病院に行ったら即入院状態であったろう。だが、私はそんなことになったら自殺するだろうと確信していた。それが直感的に分かっていたから、病院に行かない選択を家族全員でした、そういう時であったと思う。

いつも最悪の事態を考えることができない人間であった母が「最悪を覚悟していた」と言い、いつも母に言われてやっと子どもに関わることしかしてこなかった父、「普通」という枠にとらわれ、うつ病になったら病院に行くのは普通、との強固な考えを持っていた父が、その考えを手放して、自ら私の背中に向かって「(病院へは行かず)3ヶ月は(実家に)来い」と指示し、人に対して「かわいそう」という同情心を持つ心が不足した人生を送ってきた夫が「かわいそうだ。俺がずっとついていてやれれば」と言って号泣した。

人が180度、変わったのだ。

そして私はと言えば、「精神科に通う人間などろくでもない、社会のはみ出し者だ」という、型にはまった差別的な考え方と、格闘させられた。

実家に半年通い、症状が一切よくなっていないにもかかわらず、いわば何も変わっていないにもかかわらず「実家に行けなくなった」と父にメールを打った次の日の朝、私は夢を見た。

空を飛んでいる夢であった。ある種の「超越」を象徴しているだろう。
そして目覚めたとき、私の胸部のパニック状態が綺麗にすっと消えていた。(次の日には当然のように再び始まったが)
魂が一段下に下がったような感覚となって、全ての答えが目の前に現れた。
その一つが、こういうものであった。

「人格を治すためではない。計画とおりの人生を歩むためでもない。今ある苦しみを少しでも軽くするために、精神科へ行くんだ」と。

この一種の悟り、のようなものは、強烈なインパクトである
自分がなぜ精神科に行かなければならないのか、の答えが、分かったのである。私は精神科への偏見と戦い、答えが出たのである。自分は無力であるということ、謙虚に生きるとは、自分がどんな人間であるか、どんな人生を送るかよりまず先に、今日明日を生きることに集中することなのだ、と言う答えである。

これがあって私は病院へ行くことができた。薬を飲んで治療すると、はっきり決まったのである。

こういう人が理解できない世界を体験したあとの自分とは、孤独を知っているということである。
そしてこのような苦境の後に、自分で得た悟りみたいなものは、強力であり、その後数年感をかけてこの考えを身につけていくと、次第にその変化が身に付いてくる。

あれからさらに5年たち、やっとそれが今の日々の生活に反映されてきたという気がする。今を、この瞬間を生き、自分の無力さを受け入れつつ、できることを最大限やることが大切なのだと。
大切だというか、それこそがまさに人生なのだ、と。

今はとにかく、時の流れ、物事の流れに任せて生きようと思っている。
妊活も始めようと考えているが、心はいたって、「任せる」心境である。
何かをコントロールしようという気持ちがない。
精神科の薬を飲みながらになるのかもしれないことに対しても抵抗はない。

できなかったらそれまで、できたらそれまで、全てを任せようという気分である。
だが、決めているのは、この一生を、「生きる」ということ。
自分に与えられたこの資質と能力の限界と体力の限界を抱え、この限界の中で、やれることをしっかりやって、生きると言うこと、それだけははっきり決まっているのである。