理想の形
親が「反応」してくれる、
という理想を諦めよう。
家族を「コントロール」しようとすることをやめよう。
それが大切だ。
せいぜい、私の中で、
「父親ともう会いたくない」
という気持ちを大切にして、
それを伝えるにとどめよう。
「謝ってもらう」
ことが、自分の無力感を克服する術である、と思っていた。
しかし、それが、こんなにもデカイ問題になってる。
謝るのも
その人の勝手なのだ。
謝るか謝らないかも
その人の自由なのだ。
人の行動は、残念ながらコントロールできない。
無力感を克服したいのなら、
せめて
会いたくない人と会わない
という方法しかない。
受け取りたくない贈り物を
受け取る、ということをするくらいしかない。
自分の不快な感情の解消、不快な感情の処理をすることが、子どもの心を根底から傷つけることよりも大事である、という
人から、
贈り物を受け取る気持ちには到底なれません。
私は母親の
ゴミ箱(不快な感情を処理する役割)
ではありません。
今もまやかしの家族の絆をそこにあるものとして、幻想を抱き、そこにあるものとすることに必死なのだ。
その感情を受け取る役割は、私はもうするつもりはありません。
母親自身の罪悪感の処理をするゴミ箱では、私はありません。
あなたの罪悪感は、
あなた自身で処理をしてください。
私に贈り物をする事で、解消しようとするのはやめてください。
愛してもいない人に
どんな気持ちで贈り物を
送るのですか?
私はこれを書いている今も
泣いています。
これ以上私を
苦しめないでください。
知ってるでしょう
2010年の地獄を。
苦しめないで。
という理想を諦めよう。
家族を「コントロール」しようとすることをやめよう。
それが大切だ。
せいぜい、私の中で、
「父親ともう会いたくない」
という気持ちを大切にして、
それを伝えるにとどめよう。
「謝ってもらう」
ことが、自分の無力感を克服する術である、と思っていた。
しかし、それが、こんなにもデカイ問題になってる。
謝るのも
その人の勝手なのだ。
謝るか謝らないかも
その人の自由なのだ。
人の行動は、残念ながらコントロールできない。
無力感を克服したいのなら、
せめて
会いたくない人と会わない
という方法しかない。
受け取りたくない贈り物を
受け取る、ということをするくらいしかない。
自分の不快な感情の解消、不快な感情の処理をすることが、子どもの心を根底から傷つけることよりも大事である、という
人から、
贈り物を受け取る気持ちには到底なれません。
私は母親の
ゴミ箱(不快な感情を処理する役割)
ではありません。
今もまやかしの家族の絆をそこにあるものとして、幻想を抱き、そこにあるものとすることに必死なのだ。
その感情を受け取る役割は、私はもうするつもりはありません。
母親自身の罪悪感の処理をするゴミ箱では、私はありません。
あなたの罪悪感は、
あなた自身で処理をしてください。
私に贈り物をする事で、解消しようとするのはやめてください。
愛してもいない人に
どんな気持ちで贈り物を
送るのですか?
私はこれを書いている今も
泣いています。
これ以上私を
苦しめないでください。
知ってるでしょう
2010年の地獄を。
苦しめないで。