すっかり、つきものが落ちました
海外旅行に行った。
価値観変わった。ずっと人生何かを成し遂げないといけないと思って生きてきた。そうでないと負け組になってしまって生きている意味がないと思っていた。
でも、今回わずか8日ばかりの旅だったけど。
他人と一緒に過ごし、寝食を共にし、規則正しい生活が送れて、症状も全くでなかったことから、
症状に対する自信が生まれた。
まずこれが一つ。
あとは、最初に挙げたように、人々の生きるさまを見て価値観が変わった。
いろいろな場所に行って、いろいろな人と会って。
私が仮に、嫌なこと、仕事でも、完璧主婦でも何でもいい、一生懸命やって、仮に何か少し、成し遂げたというようなものがあったとして、
この中のいったい誰がそもことを認知してくれるだろう???
こんなに多くの人が、誰もそれを知らずに終わる。
だったらその嫌なことを、私はいったい誰のためにやっているのだ?世界に60億人。10人のうち1人にも見られていないことを、人生かけて必死こいて、自分の思う勝ち組になったとして、10人のうち1人にも満たない人にしか認知されないのだ。(家族?友人?)
ということに気づいたのだ。
世界の広さを知って、自分の小ささを良い意味で知ることができたのだ。こんなにもたくさんの人が世界には生きている。その中で自分の占める割合なんて本当に小さいじゃないか。
だったら自分が好きなように生きたらいいじゃない?
っていう単純なことに、やっと気づいたのだ。
そうしたら、うつうつとした感情もすっかりなくなって、人のことも気にならない。
もちろん、だからといって、私の対人恐怖とか不安が強いところとかがなくなるわけじゃない。
でも、そういう自分はこの世に一人しかいないわけだから、代わりがないんだから、それでいいんんじゃないか。
焦って病気が治るためのことを必死になってやらなくてもいい。だって病気であることが今の自分のありのままの姿なんだもの。薬飲みつづけて、もしそれで自分の生活が少しでも楽になるなら、一生飲んでてもいいじゃん?いやむしろ、そういう薬が存在することをとてもありがたいと思わないか?
お金のことも心配ばかりしてるけど、死ぬときにものすごい余ってたってしょうがないじゃん?なければないなりに暮らせばいいし、必要なときには何でもできることをやればいいじゃない?
仮に目標立ててそれに向けて努力して何かを手に入れたとしても、それは人生の中でたまたま、モチベーションと必要性と努力ができる環境、時間などがととのえられていたからできたということであって、自分ひとりの力なんかじゃないんだよ。
また、人生のうちで、何回か、そういう目標に向けて努力したいと思う気運のときがきたら、そうすれvばいいじゃない?そうじゃないときは目標なんて立てなくたっていいじゃん。
そういうことが心にすっと入ってきた。
生きることがダメダメな自分。なかなか人間関係もうまくやれない自分。だったら人に助けてもらえばいいし、できないことを無理にやらなくてもいいし、だからこその私じゃない?
もっと流れに任せて生きようよ。もっと毎日毎日をしっかり生きようよ。過去でも未来でもなく、今という時の流れを。
そういうふうに思えた。
分かってはいたけど、今回の旅でそれが、すっと心に入ってきた。
そうしたらうつっぽさが軽くなった。うつっぽくても、そのこと自体を否定しなくなった。私という人間はいつも鬱々としていて、まずはそれを認めよう。
目標とか利得とかを考えなくなった。
何が一番違うかっていうと、人生というのは自分でコントロールできない
っていうことが、世界の広さを見てはっきりわかったということ。
人生を自分のコントロール下に置こうとする試みが、はっきりとムダな試みであるということが分かったということ。
大きな全体の流れに、否応なく巻き込まれているちっぽけな存在で、その大きな渦を私が変えることはできなくて、だからこその、その時その時を大事に生きるのでいいんじゃないか。だからこそ、その場その場で感じる自分のしたいこと、それをやるのでいいんじゃないのか、ってことに気づいた。
そうしたら自分の今やりたいことが、いろいろ見えてきた。
ここに書いてきた対処法とか、少し違ってくると思う。
一瞬一瞬を輝かせることに、自分の人生の意義があると思うようになった。