うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

1Q84

  『1Q84』。
 この本、一流の人間ばかり出てきますね。しかも超がつく一流の人ばかりですね。スケールが大きく(殺人だのなんだのと)、スキルが高く、頭が良く、行動に移すときは素早く、実地で物を学び身につけていく人たち。
 私なぞは、安定した家庭に守られ、学校教育というシステムの中で、受身に上の指示に従い、生きてきた人間だから、青豆とか天吾みたいに10歳かそこらで、自分の頭で物を考え、試行錯誤の中で一人で生きてくるなんて、とても考えられない。「あくまでも小説の中だから」という面もあるが、実際10歳でそういう決断やそれに近いものをする人はいるだろうと思う。
 10歳のときなんて何してたか?行儀良く椅子に座って授業を聴き、学校が終われば、友達と外で遊び、あるいは習い事に行き、家に帰って宿題をし、母親の用意したご飯を食べ、テレビを見て、時間になれば寝ていた。それの繰り返し。父親は仕事に行っていたが、お金は母親が銀行からおろしてくるので、お金は銀行がくれるものだと、かなりの年まで思っていた(笑)。何かに疑問を持ち、リスクやコストと引き換えに自分の生きる道を行こうなんて、全く考えも及ばなかった。将来のことなんて、まじめに勉強して、大学に行き、誰かと結婚して(もちろんまじめな人と)、慎重に生きていれば、まあまあそこそこの人生が送れるのだと思って何も心配していなかった。(それで今心配症の病気になっているから、救えない
 
 思うに、ただの一流の中には鈍感なゆえに根性が座っている、というような人も多いと思うが、超がつく一流の人間というのは、むしろ、世の中の闇を、心の闇や恐怖を、精神疾患の患者が味わう過敏さと同等なレベルで、知っている、体験している人が多いのではないだろうか。その闇を避けるでもなく、闇の手前で制止するでもなく、通過することによって乗り越えた境地に立っているからこそ、超一流である気がする。そうでなければ幅の広い人間にはなれないだろう。
 
 何週間か前に、土曜ワイド劇場で、泉谷しげるが、弱い人間の役をやっていた。いつも気の強い泉谷しげるが、本当に弱い人間に見えた。自分と同じぐらいかそれ以上に弱い人間に見えた。この人は、私が病気の症状として感じる恐怖、他の健康な人から見たら、「考えすぎ」とイッカツされてしまうような恐怖、と同じものを知っている、だからこのような演技ができるのだ、と思った。作家も芸能人も、クリエイティブな仕事をする人は、心の強い方面も突き抜けているが、恐らく弱い方面の底も深い。
 
 10歳のときの私は、心の傷を受ける機会を持ってはいても(それは生きているんだからいつでもそういう機会はある)、それに直面しなければならない現実的な要請がなかった。しかし今は、それがある。自分で何とかしなければならない。毎日、心の傷と格闘している。